琵琶湖疎水
びわこそすい □京都府京都市・滋賀県大津市
今も京都を支える、壮大なる近代産業遺産。
琵琶湖疏水は一般的に派手な観光名所ではありませんが、知れば知るほどその素晴らしさを理解し、その魅力の虜になってしまう大プロジェクトです。今回琵琶湖疏水に沿ってウォーキングをしたのですが、美しい自然との調和、建築美、歴史的意義など、歩みを進めるたびに出会う発見。その魅力は壮大すぎて、簡単には文章に出来ないほどです。終着点のひとつで、蹴上にある琵琶湖疏水記念館で色々学び、点で見てきた琵琶湖疏水の魅力が一本の線となってつながります。その時、あらためて琵琶湖疏水の偉大さを実感するのです。
京都再興のための、一大プロジェクト。
明治維新によっていよいよ全てが東京に移ってしまい、人口減少や産業の衰退が顕著だった京都。その復興のために当時の京都府知事・北垣国道が企図した一大プロジェクトが琵琶湖疏水の計画でした。水量が豊富な琵琶湖から京都までトンネルを通し、人工的に水の流れを作り出す大工事です。とはいえ土木技術もまだまだ未成熟だった明治時代、1885年の着工です、待ち受けていたのは難工事でした。竪坑による工法など新技術も導入されましたが大型の重機があるわけでもなく、延べ400万人の人が動員され、ほぼ人力のみで5年かけて開削されました。
偉大なる、琵琶湖疏水の歴史と意義。
1890年、第1疏水が開通します。さらに20年後に第2疏水も完成。第1疏水は山科の山麓に沿って蛇行しながら、時にはレンガ造りのトンネル(出入口には伊藤博文や山縣有朋など各界の偉人が揮毫した扁額が飾られています)を通り約20km。第2疏水は全線トンネルで一気に流れる約7.4km。いずれも明治時代の開通以来、今なお現役で稼働する運河です。
琵琶湖疏水がもたらした社会基盤の近代化によって、また疏水工事そのものによって、京都の経済は見事な回復を見せました。豊かな水を手に入れたことにより工業用水を確保、また水力発電を行ったことにより工業化も加速し、日本初の路面電車も走り出しました。さらに運河として利用され物流にも変化をもたらし、大津から京都を経て大阪までの水運も発達します。水道も整備され、市民の生活の質も上昇しました。琵琶湖疏水が果たした役割は、現代までの京都の発展を大いに支えたのです。これが琵琶湖疏水の歴史と意義。記念館の受け売りで、だいぶ簡略化しましたが。
琵琶湖疏水沿い、約4kmの散歩道。
そういう理解もないまま、日曜日の朝、JR山科駅から散策を始めました。当然琵琶湖疏水のスタートは滋賀県大津市なんですが、実は大津側にあるのは水門と、第1疏水の第1トンネルの入口だけです。これは以前三井寺を訪ねた時に見ていたので、今回は中間地点の山科からのスタートなのです。駅から東に10分ほど歩き、疏水公園という場所から琵琶湖疎水に沿って歩き始めます。もっとも、この場所は第1疏水の2つめの「諸羽トンネル」の上。だから京都方面に少し歩くと、諸羽トンネルの出口があり、そこから本格的に疏水の流れと一緒に歩くことになります。約4kmの散歩道。
聞こえるのは、鳥の声と風の音。
季節は初夏、新緑が美しい時期です。透き通る青モミジと滑らかに流れる水に挟まれた小径を歩きます。流れは思ったより早いです。人工的に作られた流路は川と違って邪魔な岩もなく摩擦が少ない分、軽やかに滑らかに流れてゆきます。同じ理由で、川のような水が流れる音がしません。ただただ静かに、決まった速度で流れています。聞こえるのは鳥の声と風の音。水量はたっぷりあります。取水口の水門で調節されるため、常に一定量の水が流れるようです。場所によっては鯉が泳いでいます。たくさんの野鳥がいます。ハクセキレイの親子がいて、流れる水から何かを捕って子供に与えています。疏水の水面をゆく木の葉の舟は、歩く速度より少し早く流れてゆきます。トンネルのように茂る緑を水面に映して、その色も一緒に流しているように見えます。この上なく涼しげな光景です。
日本で最初の、鉄筋コンクリート製の橋。
疏水沿いの小径には、途中にいくつかの立ち寄りスポットがあります。毘沙門堂、安祥寺、本圀寺、天智天皇陵。所々に疏水を渡る橋が架かっていて、好きな方の岸を歩ける場所も多いです。疏水を横切る自然の川もありますが、当然のことながら合流することはなく、疏水の下を流れてゆきます。こんなことも計算しながら作られているわけです。やがて第2トンネルが現れます。少しだけ住宅街を迂回し、第2トンネルの出口付近に戻ってきます。ここに「日ノ岡第11号橋」が架かっています。実はこの橋、日本で最初の鉄筋コンクリート製の橋なのです。幅は1mちょっと、長さも疏水をまたぐだけの数メートルですが、日本の橋の歴史に残る記念物なのです。そしてこの橋のすぐ下流に、第3トンネルの入口があります。第3トンネルは長く、小径は行き止まりとなります。この後は住宅街の方へ抜けて、しばらくは山科と洛中を結ぶ幹線道路を歩きます。10分ほど歩いたあと、第3トンネルの出口付近、大神宮橋という橋で疏水の流れと再会することになります。
桜の名所でも有名な、蹴上インクライン。
大神宮橋からは第3トンネルの出口とともに、歴史を感じる洋館が見えます。レンガ作りのこの建物は「旧御所水道ポンプ室」というもの。明治45年の建築で、ポンプ室という割にはかなり豪華な建物です。今は使われていませんが、こんなところにもこだわりを見せるあたり、京都が本気で琵琶湖疏水を推進していたことがうかがえます。そして実はこのあたりで、琵琶湖疏水ウォーキングはクライマックスを迎えることになります。
疏水の流れは大神宮橋の袂で途切れます。その先にあるのは桜の名所でも有名な蹴上インクライン。勾配が急なため舟運を通せないことから、レールを敷いた上を舟を載せた台車が上下して運んだ施設です。今もレールと台車が残っており、ノスタルジックな撮影ポイントとしても人気です。しかし途切れた水の流れはどこに行ったのか。それは大神宮橋の脇にあるトンネルに吸い込まれていました。その先まで歩くと、とても不思議な構造をしたコンクリートの塊の上で、先ほどの流れが右から、さらに左からも流れが来て合流しています。右からが第1疏水、左からが第2疏水。それぞれに旅をしてきた水が、ここで合流しているのです。さらに発電設備があり、驚くことに今でも水力発電が行われています。かなり太い2本の送水管が急坂を下っています。これなんか、今までの優雅な流れから急に近代的な巨大構造物が登場し、少々混乱してしまいます。
壮大な事業、その歴史的なロマン。
実は合流している場所であるとともに、分岐点でもあります。枝分かれした水は、まさかの北へ向かいます。これが有名な南禅寺の水路閣。下から見上げた時はてっきり南に流れていると勝手に思っていましたが、実は北上する流れだったのです。その流れは「疏水分線」と呼ばれ、京都盆地の北部で利用されるべく、下鴨神社の北側で西へ大きく曲がって、堀川まで流れていくのです。有名な哲学の道の横を流れる水も、実はこの疏水分線なのです。
少し横道に逸れてしまいましたが、蹴上で合流した本流は、蹴上インクラインの先、南禅寺船溜という場所で再び姿を現します。ここはかつて、舟運のロータリーのような施設でした。シンボルの噴水があり、そして構造的にもすごく見応えのある場所です。その横にある琵琶湖疏水記念館から見下ろすと、南禅寺船溜からさらに真っすぐに流れてゆく風景が格別に美しいです。壮大な事業、その歴史的なロマン、色んなものがこの場所で一ヶ所に集合して、再スタートして流れてゆく場所。それは身震いがするほど、感慨深くさせる光景でした。
70年ぶりに再開した、疏水をゆく遊覧船。
なんだか雑然としてしまいましたが、もともと書ききれる自信なんてありませんでした。それくらい琵琶湖疏水は壮大かつ奥が深い近代産業遺産であり、また豊かな自然も兼ね備えた景観の宝庫なのです。一度ウォーキングしたくらいでは、どこまでの理解が出来たかなんて甚だ不安です。ただ深い感銘を受けたことだけは間違いありません。
春と秋に、琵琶湖疏水を巡る遊覧船が2018年から運行されるようになりました。70年ぶりのことだそうです。今度は是非、琵琶湖疏水の水面からこの美しい景色を堪能したいと思います。
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アクセスマップ
詳細情報
名称 | 琵琶湖疎水 |
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所在地 | 京都府京都市~滋賀県大津市 |
問い合わせ先 | 075-672-7810 | 京都市上下水道局 総務部 総務課 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | - |
公式サイト | https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/ |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/琵琶湖疏水 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298564-d548222-Reviews-Lake_Biwa_Canal-Kyoto_Kyoto_Prefecture_Kinki.html |
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