伏見城
ふしみじょう □京都府京都市
かつての威容に思いを馳せる、秀吉の終の棲家。
JR京都駅から南へ約6km少し。小高い丘の上にある伏見城は、現在の姿こそテーマパーク(閉園)の施設の一部として昭和に造られた、記念碑的なコンクリート造りの模擬天守ですが、かつては豊臣秀吉により築城された名城としてその秀麗な容姿を誇っていました。
1592年に豊臣秀吉の隠居城として築城された伏見城。初期のものは指月城と呼ばれていました。秀吉はこの伏見城で生涯を閉じます。その後、徳川家康が入城し政務を行いましたが、三代家光の代に廃城になり1623年には解体され、遺構は二条城や大阪城、京都各地の寺社などに移築されました。歴史的には短い期間しか存在しなかった伏見城ですが、当時は秀吉が贅を尽くし建てた聚楽第の建物を移築し、桃山文化の粋を集めた豪壮華麗で巨大な城でした。
日本史上の伏見城は豊臣秀吉が隠居のために1592年に建てられた「指月城」を指す。現存のものは昭和時代再建の模擬天守。
伏見の町の隅々にも、城の名残を見る。
現在、本丸跡は桃山御陵(明治天皇陵)となっていて立ち入ることはできないですし、復興された模擬天守もなんだか味気ない雰囲気。でも、その城下町として栄えた伏見の町は今も当時からの特色を色濃く残し、情緒ある町並みを今に伝えています。そんな町中には伏見城の遺構と言える情景が密かに隠れています。
例えば琵琶湖疎水として伏見を流れ、町の風景に溶け込んでいる濠川は、字のごとく伏見城の外濠でした。直角に曲折して流れるその形状はいかにも城の敷地に沿った形をしています。また町の住宅街の数ヶ所には民家のブロックごとに地面の高さが1階分ほども違う場所があり、これは伏見城の城域内の石垣の跡と言われます。その証拠に、民家に埋もれるようにして隠れた石垣を確認できるところもあります。
そんな風に今は完全に町に飲み込まれてしまった伏見城。かつては巨大な城閣だったはずですが、伏見の町全体を城跡だと思って散策してみると、意外な発見がたくさんあるはずです。
城下町として栄えた伏見の町では、伏見城の外堀を利用した水路が、琵琶湖疏水の一部として再利用されている。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 伏見城 |
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所在地 | 京都府京都市伏見区桃山町大蔵 |
問い合わせ先 | 075-602-0605 | 伏見桃山城運動公園 |
休業日 | 無休 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 敷地内有料駐車場あり |
公式サイト | - |
wikipedia | http://ja.wikipedia.org/wiki/伏見城 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298564-d1951788-Reviews-Fushimi_Castle-Kyoto_Kyoto_Prefecture_Kinki.html |
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