猿猴橋
えんこうばし □広島県広島市
街の変貌を見てきた、風格ある橋。
広島駅から路面電車に乗って一駅。実際には交差点をひとつ越えただけのところにある猿猴橋町電停。たくさんの路面電車が行き来し、多彩な種類の車両を見ることが出来るスポットとしても有名です。 その名称の由来となっているのが、電停から西へ100mほどのところにある猿猴橋です。現在は真新しい感じのする橋ですが、その歴史は古く、また広島の街の変貌を見続けてきた橋として貴重です。
広島の街の特徴である三角州を構成する河川のうち、最も東側を流れるのが猿猴川。その川の名を授かった猿猴橋は、16世紀の末に初めて架けられました。今の広島の街の原型となる広島城を中心とした城下町が、毛利輝元によって造られた頃です。
西国街道に架かる、広島一美しい橋。
架橋から間もなく、江戸時代の1648年に広島東照宮が造営されましたが、境内から伸びる並木道の参道がたどり着くのがこの猿猴橋でした。なので参道の一部と考えられ、人々は馬を降りて猿猴橋を渡ったといいます。この橋はいわば広島の町を象徴する橋のひとつで、長らく人々に親しまれてきた橋なのです。また畿内へとつながる西国街道に架かる橋でもあり、広島の東の玄関口として重要な役割を持った橋でもありました。
架橋以来、木造の橋だった猿猴橋は、大正末期の1926年に鉄筋コンクリート造で架け替えられました。人々に愛され、また交通の要衝でもある猿猴橋は、この時に最大限の敬意を持って絢爛豪華な橋として造られました。総花崗岩造りの欄干、装飾性の高い柱には照明燈も付けられ、重厚かつモダンな外観を誇りました。また橋の四隅の親柱にはブロンズ製の飛び立つ鷲が、また欄干には猿を模した装飾もあしらわれ、その評価に相応しい風格を備えた橋でした。
歴史の流れに翻弄された、斜陽の時代。
しかしそんな猿猴橋にも、過酷で悲劇的な時代の波が押し寄せました。ひとつは戦争です。金属類回収令により豪華な装飾部分が供出されてしまい、また原爆投下により落橋まではなかったものの損壊がありました。広島一美しい橋と言われた姿は、もうどこにもありませんでした。またその後時代が進むと主要道路が変わってゆき、猿猴橋は次第にその役割を失っていきました。周辺の大通りに対して、猿猴橋だけが斜めに架かっているのは、歴史の流れに取り残されたことを物語っているのです。
美しく蘇った、これからの猿猴橋。
しかし原爆を耐え抜いた被爆橋梁として、またかつての華麗なる姿は人々の記憶には残り続けました。そして終戦から70年が過ぎた2016年、人々の記憶の中にあった猿猴橋が再びその姿を取り戻したのです。親柱には地球儀の上で羽ばたく大鷲、欄干には桃を取り合う2匹の猿が復元されました。また美装も行われ、優美な猿猴橋が復活したのです。訪ねた夕刻には照明も灯され、夕闇迫る空を背景に大鷲のシルエットがくっきりと映えていました。周辺の現代的な街並みとは一線を画す、それはそれは美しい橋です。昔も、そしてこれからも広島のシンボリックな橋として愛されるんだろうなと感じさせる存在感でした。
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アクセスマップ
詳細情報
名称 | 猿猴橋 |
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所在地 | 広島県広島市南区猿猴橋町~的場町 |
問い合わせ先 | 082-513-3891 | 広島県道路企画課 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | - |
公式サイト | - |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/猿猴橋 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298561-d13412840-Reviews-Enko_Bridge-Hiroshima_Hiroshima_Prefecture_Chugoku.html |
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