旧日本銀行広島支店
きゅうにほんぎんこうひろしましてん □広島県広島市
ほぼ原形を留めた、奇跡の被爆建造物。
広島市内には被爆建造物として今もさまざな場所で、原爆の悲惨さを伝える遺構があります。原爆ドームを筆頭にレストハウス、袋町小学校平和資料館、本川小学校平和資料館。そして被爆建造物の代表的なもののひとつが、旧日本銀行広島支店です。爆心地から約380mの至近距離にも関わらず、ほぼ原形をとどめて生き残った建物。おそらく中心部では最も当時の姿を残している被爆建造物だと思います。
昭和初期の広島を、代表する建築物。
旧日本銀行広島支店は広島城からの目抜き通りである鯉城通り沿い、平和大通りに近いところにあります。広電の袋町電停を降りてすぐ、とても分かりやすい場所です。周辺にはオフィスビルが建ちならぶ街並みにあって、この建物だけがレトロな石張りの建物としてある意味かなり目立っています。と同時に、爆心地に近いというのにほぼ完全な形で残っていることに奇跡を感じてしまいます。旧日本銀行広島支店は、建築から80年以上経った今も、あの原爆の災禍を乗り越えてなお当時の外観を保っているのです。旧日本銀行広島支店が建てられたのは1936年でした。鉄筋コンクリート造で外壁には石材が張られ、当時木造家屋が建ち並ぶ街にあって堂々たる風格があったに違いありません。昭和初期の広島を代表する建築物であり、日本銀行という権威ある性質から非常に頑丈に設計され、建造されていました。そのことが、原爆の衝撃や爆風による倒壊から免れることにつながりました。
焼け野原の中に、聳え立つ一棟。
1945年8月6日、エノラゲイから落とされたリトルボーイが、広島上空約500mで炸裂しました。その巨大な火球に飲み込まれそうな距離にあった旧日本銀行広島支店ですが、その堅牢さによってほぼ原形を崩さずに残りました。1階と2階はよろい戸を閉じていたため、内部の破壊は最低限で済んだようです。地下にあった金庫もそのまま無事だったと。しかし3階は火災に見舞われ全焼しましたし、やはりかなりの数の犠牲者が出たそうです。しかし建物全体としてはほぼ外観をとどめており、当時の写真では一面の焼け野原の中に一棟だけ聳え立つ様子がよく分かります。
翌年の春には、完全に復旧したという。
そして臨時の病院として使われつつ、なんと驚くことに2日後の8月8日には部分的に営業を再開したというのです。建物そのものの堅牢さはもちろんですが、このような惨状の中でも逞しく這い上がる人々の心意気には感服します。その後も随時補修されながら、翌年の春には完全に復旧したそうです。戦後も1992年まで日本銀行の支店として使われ続けて、1993年には広島市が指定する被爆建造物として登録され現在に至ります。今では被爆建物として一般公開されており、外観だけでなく内部の見学も出来ます。
直線的で、シンプルなデザインが印象的。
ただ、今回訪問した時には改修工事が行われており、内部の見学は出来ませんでした。その分、外観をしっかり堪能します。あまり過度なほどの装飾はされておらず、どちらかと言えばシンプルなデザインが印象的です。直線的なイメージがあり、全体としてスクエアな箱のように感じます。壁面の痛みなどはありません。これが被爆当時のままなのか、あるいは戦後補修されたのかは分からないですが、それでも積み重ねてきた時間相応の渋さがあります。正面の扉は固く閉じられていましたが、次は是非内部を見てみたいと切に感じました。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 旧日本銀行広島支店 |
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所在地 | 広島県広島市中区袋町5-16 |
問い合わせ先 | 082-227-4100 | 日本銀行広島支店 |
休業日 | 12月29日〜1月3日 |
料金 | 無料 |
駐車場 | - |
公式サイト | - |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/旧日本銀行広島支店 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298561-d3642482-Reviews-Former_Bank_of_Japan_Hiroshima-Hiroshima_Hiroshima_Prefecture_Chugoku.html |
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