御幸橋
みゆきばし □広島県広島市
戦争の悲惨さを伝える、1枚の写真。
1945年8月6日、広島への原爆投下当日の惨状を捉えた1枚の写真。爆風と熱線による負傷者が橋の上に集まり、恐怖と不安に渦巻く悲しい写真です。原爆投下から約3時間後、爆心地からは約2.3kmの橋の上で撮影されたもので、ほぼ唯一当日の広島の様子を捉えたものとして有名です。今では平和記念資料館で最初に眼にする写真として、多くの人に知られています。
その写真が撮られた橋が、御幸橋です。知らずに何度か渡っていましたが、写真の場所が御幸橋だと知ってあらためて訪ねることにしました。
想像していたより、ずっと大きく長い橋。
御幸橋は大きな橋です。現在の橋は1990年に架け替えされたもの。長さは156m、幅は35mもあり、広い歩道と片側3車線の車道、さらに中央には路面電車の軌道上下線が走っています。幹線道路だし西詰は五叉路になっていて、交通量の多い橋です。路面電車が通ると橋自体がゴオオオと音を立てています。橋のデザイン的には特段見ごたえはありませんが、橋上から見る京橋川の風景は美しいです。
あの写真から想像していたより、御幸橋はずっと大きく長い橋でした。当時もこんなに大きな橋だったのか気になって調べると、同じように大きな橋だったそう。1885年の架橋当時は広島で最も長い橋で、「長橋」とも呼ばれていたそうです。
橋の西詰に建つ、あの写真の記念碑。
御幸橋という名は、1885年に明治天皇が広島行幸の際に渡ったことから名付けられたそうです。その後日清、日露から太平洋戦争まで戦争が続いた日本。広島からはこの御幸橋を行進して、宇品港から兵士たちが出征していったそうです。しかし最後には、その戦争の悲惨さを現代に伝える戦争遺産となってしまった御幸橋。
橋の西詰に、あの写真の記念碑が建てられています。北の爆心地から南へ逃れてきた無数の被爆者。ここにあった交番に臨時の救護所が設けられ、応急処置を受けたそうです。しかしあまりにも無残な怪我の様子、そして息絶えていく人々。シャッターを押す指も、数回で止まったといいます。
あの日のことを、静かに物語るモニュメント。
あれから80年近くが経とうとしています。街の様子も、人々の記憶も変わり続けた年月。しかしこの場所で起きたことは永遠に変わりません。そのことを静かに物語る写真のモニュメントに、手を合わせずにはいられませんでした。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 御幸橋 |
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所在地 | 広島県広島市中区千田町3丁目 |
問い合わせ先 | - | - |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | - |
公式サイト | ー |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/御幸橋_(広島市) |
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