太融寺
たいゆうじ □大阪府大阪市
歓楽街に佇む、歴史ある名刹。
太融寺は大阪随一の繁華街、梅田からほど近くにあるお寺。弘法大師空海によって821年に開かれたと伝わる古刹で、新西国三十三所の第2番札所となっています。古くからこの地にあったということから周辺は太融寺町という町名になっています。しかし周辺は大阪有数の歓楽街。しかもラブホテルやいかがわしい店が密集する、お世辞にもお寺にふさわしい地域とは言えない感じです。でもそれも歴史の流れの結果というもの。どのようにこの街の仕組みが作られたのかは分かりませんが、太融寺はそんなエリアにおいて、結構広い境内を有しています。
繁華街にあることを、ついつい忘れる静寂。
入口としては西門が最も立派で、門をくぐると本堂の左手になります。そこには小さな鐘楼と、縁結びの神様として女性の参詣が多い白竜明神があります。またそのすぐ横には太閤秀吉の側室であった淀殿の墓が、明治10年に大阪城公園から移されて祀られています。そこから正面に回り込むと、立派な本堂が聳え立ちます。太融寺の堂塔は太平洋戦争の大阪大空襲で焼失したため、いずれも戦後に再建されたもの。だから境内のどこを見回しても、新しく綺麗なお堂や建物ばかりです。さらに管理もすごく手間をかけられているようで、整然とした雰囲気で清々しく感じます。またこの日は色づき始めたモミジに季節が感じられ、繁華街のど真ん中であることを忘れてしまうくらいです。
独特の雰囲気がある、一願堂。
本堂の他には、高野山真言宗らしく大師堂がありその奥に護摩堂を取り込んだ宝塔が建っています。また同じく宝塔の下に、不動明王(一願不動尊)を祀る一願堂があります。ここはちょっと独特の雰囲気があり、薄暗い空間に一願不動尊が安置され、その周囲を無数の提灯が取り囲んでいます。またその奥には小さな滝と池がある奥の院。他にも境内の南東には2019年に建立されたばかりで、鮮やかな朱塗りが印象的な八角堂。またその手前には九山八海庭と呼ばれる、玉砂利を敷き詰めた約200坪の風流な石庭があります。
歴史の中で、果たしてきた役割。
いずれも真新しい感じのする近代的なお寺ですが、先にも紹介したように非常に古い歴史を持つ古刹です。太融寺町だけではなく、堂山町、神山町といった町名も元は太融寺の境内地であったことから今に残るようです。さらに明治13年にはこの太融寺で国会期成同盟が結ばれ、自由民権運動はここから全国へ広がったと言われています。太融寺が歴史の中で果たしてきた役割や与えた影響は、意外にも大きいものなのでした。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 太融寺 |
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所在地 | 大阪府大阪市北区太融寺町3-7 |
問い合わせ先 | 06-6311-5480 | 太融寺 |
休業日 | - |
料金 | 無料 |
駐車場 | - |
公式サイト | https://taiyuji.net/ |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/太融寺 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298566-d1407253-Reviews-Taiyu_ji_Temple-Osaka_Osaka_Prefecture_Kinki.html |
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