黒井城跡
くろいじょうせき □兵庫県丹波市
丹波の山上に築かれた、戦国時代の壮大な要塞。
本丸から見晴らす丹波の里、秋晴れの澄んだ空気を通したその景色は、おそらくこの季節にしか見られない清々しいものだとして眺めていました。吹き抜ける風はこのうえなく爽やかで、つい先ほど夏が終わったかのような季節の変わり目を、まさに肌で感じるような瞬間でした。この山城があった山頂から、掴めそうなところにある雲を眺めながら。黒井城跡は標高356mの山上、ここまで登ってきた疲れも吹き飛ばす絶景を見ながら、風とともに見た景色はかけがえのない思い出。
丹波の赤鬼と恐れられた、赤井直正。
この城跡を語るには、まずその歴史を知る必要があります。黒井城跡が歴史に名を刻んだのは1335年。この時はまだ地方の権力者が作った簡素な山城にすぎません。そして時は流れて戦国時代。織田信長が遣わせた明智光秀に最後まで抵抗したのは、この黒井城を根拠とした赤井直正でした。自らが率いて改修した城は、後世にも名を馳せるほどの一大軍事拠点。現代の研究家をして難攻不落の城と言わしめるのは、丹波の赤鬼と恐れられた武将の戦いにおける執念でした。しかし赤井直正が陣中に没した後、黒井城はまもなく落城。明智光秀の家臣・斎藤利三が城主となります。この時代から氷上の里には平和な時勢が続き、その娘・春日局が生まれたのも黒井城の下館、今の興禅寺でした。
山中のいたるところに、曲輪や土塁が現存する。
市井の安穏とは対照的に、黒井城の巨大な要塞はそのままの威風を保ち時代を生き続けました。今でも戦国時代の猛々しい掛け声が聞こえてきそうなほど、その遺構は程度よく残されています。山中のいたるところに曲輪や土塁などがそのまま現存し、山頂の石垣は特に見ごたえがあります。そこは本丸、二の丸、三の丸があったところで、南北に約150mに渡って山頂が平坦に削られています。本丸跡に石碑があり、黒井城の別名である「保月城」の文字が刻まれています。
景色の中に、それぞれの影を落とす雲。
そして想像通り、この城跡からの眺望は素晴らしいです。四方に遮るものもなく、丹波の山々とそれに囲まれた町の様子がつぶさに眺められます。その上をゆっくりと渡る雲、景色の中にそれぞれの影を落とす様子、澄みきった風は青空から青空へ流れて僕の気持ちを風景の中へ溶け込ませてくれます。それは麓から山上を目指しながら歩む道程でも一歩一歩に感じるものでもありましたが、自然に包まれている安心感をひしひしと思う瞬間でした。
登山の楽しみも味わえる、ふたつのコース。
ところで黒井城跡への登山についてですが、麓からは高低差が250mほどあり、それなりに体力もいる道中になります。片道約40分くらいでしょうか。ゆるやかなコースと急坂コースの2通りあり、ほぼ全ての人がなだらかコースを登ります。7合目あたりには「石踏の段」と呼ばれる曲輪があり、赤い山門が建っています。ベンチもありひと休み。標高もこのあたりで290mほどあり、丹波平野の展望も楽しめます。登山道はゆるやかコースでも所々に足元の悪い箇所もあり、やや注意は必要。でも山頂までたどり着いた時に広がる絶景を見たら、疲れなんて一瞬で吹き飛んでしまいます。国の史跡でもあり、続日本100名城にも選ばれた黒井城跡。観光地化しすぎた竹田城跡にはない、素朴な美しさが魅力でした。
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アクセスマップ
詳細情報
名称 | 黒井城跡 |
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所在地 | 兵庫県丹波市春日町多田 |
問い合わせ先 | 0795-72-2340 | 丹波市観光協会 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | 無料駐車場 |
公式サイト | https://www.city.tamba.lg.jp/soshiki/bunka/kuroijyou.html |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/黒井城跡 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1022835-d14091057-Reviews-Kuroi_Castle_Ruins-Tamba_Hyogo_Prefecture_Kinki.html |
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