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明智光秀の塚 明智光秀の塚

明智光秀の塚

あけちみつひでのつか □京都府京都市
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戦国の激流を生きた、光秀安住の地。

白川に架かる一本橋から少し北へ。細い路地を入った住宅地の町角に、明智光秀の首塚があります。ほんとにあっけないくらいの町の片隅で、ひっそりと小さなお堂に祀られています。どの町にもあった、お地蔵さんのように。織田信長を討ち取るという、歴史の教科書でも衝撃度上位に来る武将がなぜこの路地に眠るのか純粋に興味が湧き、訪れてみることにしました。

明智光秀の塚

秀吉の命で、首が晒されたという。

本能寺の変の後、羽柴秀吉に山崎の合戦(天王山の戦い)で敗れた明智光秀は、居城へ逃げ延びる道中、山科の小栗栖という場所で農民によって討たれます。そこで致命傷を負い、家臣によって介錯されたと言われます。その後は諸説あるものの、首と胴体は秀吉の命令によって粟田口に晒されたといいます。粟田口は首塚からほど近い場所にある、いわゆる「京の七口」のひとつで、刑場があったとされます。やがて首は粟田口付近に埋められ、後に石塔が建てられた。その後場所を移し、現在の地にあるのだそう。

明智光秀の塚

光秀の最期には、さまざまな憶測も。

でもちょっと調べるだけでも首は隠されていたとか、晒される前に埋められたとか、家来が居城まで持ち帰った、果ては死んでおらず生きていた説など、光秀の最期にはさまざまな憶測があります。
西教寺にも高野山にも明智光秀の墓はあるし、小栗栖にも胴塚があったといいます。京都には他にも光秀の首塚があるらしい。でもここにあるものも、間違いなく明智光秀の首塚。それが事実なのです。小さなお堂に手を合わせて、日本の歴史の激流を生きた戦国武将に想いを馳せます。

明智光秀の塚

真心と、慈しみが感じられる光景。

明智光秀の塚は、路地の片隅に石の柱が並んで区切られています。その内側にお堂と、小さな五重の石塔。お堂には光秀の木像と位牌が納められているそうです。そしてお堂にも石塔にも、美しい花が手向けられています。それもさっき花屋から運んできたばかりのような。それは真心のこもった、慈しみが感じられる光景。裏切り者とか三日天下とか、とかく不名誉なレッテルを貼られる明智光秀ですが、地域の人は今でもとても大切にされているようでした。

明智光秀の塚

photo.

アクセスマップ

詳細情報

名称 明智光秀の塚
所在地 京都府京都市東山区梅宮町474-23
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公式サイト
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