高瀬川
たかせがわ □京都府京都市
水と緑が見せる、風流の極み。
鴨川の流れと並走するように、その西側を南北に流れる高瀬川。北は二条から始まり、木屋町や先斗町といったエリアを通って南は十条まで流れて鴨川に合流する川です。京都を代表する繁華街の真ん中で、美しい水が流れる景観が特徴的。特に三条から五条あたりにけては木屋町の騒々しい夜でも、潤いと落ち着きを与えてくれます。街の中に水が流れることの効果を、まさに提示してくれているような川でもあります。
高瀬川の畔は、驚くほど涼やか。
高瀬川沿いは桜並木も美しく、また歴史を語るような石碑や標柱も多くて散策が楽しめます。また川辺に休む鴨や、さまざまな種類で彩られた植栽に癒されます。高瀬川沿いにテラス席を設けたカフェもあり、水辺の憩いを求める人でいつも賑わっています。
この日は5月というのに30℃に達する真夏日。夏の京都の暑さを思い出させる気温でしたが、高瀬川の畔は驚くほど涼やか。木陰があって清らかな水が流れる場所では、こんなにも違うのかと思えるほど心地よい街角です。
はじまりは、江戸時代に作られた運河。
高瀬川は江戸時代初期(1611年)に角倉了以という人物によって開削された運河でした。鴨川から水を引き、南端は約10km先の宇治川へ繋がっていました。伏見方面からの水運を、京都の中心部まで運ぶ役割を果たしていました。毎日午前中は京都へ上る舟が、人の手によって引かれて高瀬川を遡っていたといいます。午後は高瀬川の流れに乗って、伏見方面へ下る舟。伏見は大阪方面への中継地でもあり、日々多くの舟が高瀬川を往来したそうです。
水深の浅い運河なので、使われる舟も船底の浅い独特のものでした。高瀬舟と呼ばれるもので、高瀬川の名前の由来とされています。最大約200隻が稼働していた時期もあり、開削した角倉家もたいそうな財を成したそうです。
風雅を極める、高瀬舟と一之船入。
復元された高瀬舟が、高瀬川が見られる最も北の地点で展示されています。これより北は暗渠になっていますが、二条のあたりで初めて地上に現れ、そこに高瀬舟が置かれています。伏見の酒を運んでいる様子で、風流な光景が見られます。またすぐ横には高瀬川から真横に伸びた池のような場所があります。鯉や亀がいてのんびりした水場ですが、ここは「一之船入」と呼ばれ、荷物の揚げ降ろしに使われた舟運の停泊場です。最盛期には洛中に9つの船入があったそうですが、一之船入は唯一現存するものです。
京都を代表する、水辺のスポット。
近代になり鉄道が開通したことで、高瀬川の運河としての役割は大正時代に終わりを告げました。しかし約300年に渡って京都の物流を支えた功績は人々の記憶に強く残り、今でも高瀬川が大切にされる理由でもあります。
森鴎外が小説「高瀬舟」を書いたように、高瀬川の風流な景観は多くの人々を魅了してきました。昔には昔の、現代には現代の魅力が、高瀬川にはあるのでしょう。いつの時代も訪れる人を風雅の世界に誘う、京都を代表する水辺のスポットです。
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アクセスマップ
詳細情報
名称 | 高瀬川 |
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所在地 | 京都府京都市中京区~下京区 |
問い合わせ先 | 075-343-0548 | 京都総合観光案内所 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | - |
公式サイト | - |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/高瀬川_(京都府) |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298564-d4089692-Reviews-Takasegawa-Kyoto_Kyoto_Prefecture_Kinki.html |
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