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和歌浦 和歌浦

和歌浦

わかのうら □和歌山県和歌山市
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日本の美しさを象徴する、風光明媚の地。

奈良時代から畿内随一の景勝地として、公家をはじめ貴族や歌人など多くの人々を魅了してきた和歌浦。現代の和歌浦とは少しだけ違った地形だったようですが、そうだとしても時代を超えて愛されてきたことは変わりません。文化庁が認定する日本遺産に「絶景の宝庫 和歌の浦」として登録されたように、風光明媚な景観は今も訪れる人々を魅了しています。

和歌浦

和歌に詠まれたことから、和歌浦に。

和歌浦はもともと若の浦と書いたそうですが、万葉集に山部赤人によって歌われ、また多くの歌人の題材となったことから「和歌浦」と書かれるようになりました。そう考えると日本人は、昔から言葉遊びが好きだったんだなと思えたりします。
ところで和歌浦を訪ねる前に色々と調べたのですが、和歌浦がどの場所を指して呼ぶのかいまいち範囲が分かりませんでした。実際、国指定の名勝としては紀州東照宮から不老橋を経て干潟や片男波までの範囲なのですが、日本遺産の構成文化財は雑賀崎など北西部広くまで含んでいたりするのです。これはもう訪ねてみて実際に感じるしかないなと思いながら、まず初めに紀州東照宮から訪ねてみました。

和歌浦

旅情をくすぐる、格別の景観。

紀州東照宮から南へ、不老橋鹽竈神社と巡ってから、干潟、片男波と訪れるうちに、万葉の貴族や歌人が虜になった和歌浦を、少しずつ理解ができていきました。やはり海が近く、独特の地形があり、そしてどこを見ても唯一無二の風景がそこにはありました。特に干潟は印象的で、その干潟越しに見える紀三井寺も、もしこれが万葉の頃だったらと思えば格別の景観だったに違いありません。また玉津島神社のある場所も昔は島であり、潮の満ち引きにより渡れたり渡れなかったりしたといいますから、旅情をくすぐる要素はかつての方が大きかったのかもしれません。

和歌浦

1950年代は、和歌浦の絶頂期。

江戸時代までは宮津の天橋立と比類するほどの景勝地だったと言われますが、明治以降の和歌浦の近現代は波瀾万丈の歴史を辿っています。
街の近代化によって路面電車が和歌浦まで来るようになり、また海水浴場が開設されて行楽地として大いに賑わいました。やがてそれまでは手付かずだった和歌浦の西側も開発され、多くの旅館が並び立つようになります。いわゆる新和歌浦というエリアも加わり、1950年代には全国随一の新婚旅行スポットとして人気を集めます。年間の宿泊者が350万人を超え、和歌浦は絶頂期を迎えます。

和歌浦

懐かしい昭和の情景が、たくさん残る。

しかし新婚旅行の聖地が九州へ移ったり、レジャーの多様化などで1980年代頃からは徐々に衰退していきます。数々の旅館が廃業し続け、一時期は廃墟の聖地なんていう不名誉な呼ばれ方をすることもありました。今でもまだ廃墟のまま残されている旅館があったりします。でもここ最近では和歌浦の再起に向けた活動も始まっていて、徐々に観光客は増えているそうです。やはり美しい風景がありますし、人が多くないこともいいのかも。
また実際に行ってみると、懐かしい昭和の情景がたくさんあって、そういう楽しみ方もまた和歌浦ならではなのではないかと思います。

和歌浦

風光美を湛える自然と、日本文化の融合。

和歌浦を巡っているとあらためて1300年ものあいだ風光美で知られてきた、その歴史の中での自然と日本文化の融合を感じます。今回1日では回れなかった和歌浦天満宮玉津島神社も訪れてみたいですし、片男波の砂嘴の先端にも立ってみたい。風光明媚な景色だけでなく、新鮮な海の幸山の幸も味わえるし、もっと注目されてもいい観光地だと率直に感じられるエリアでした。

和歌浦

photo.

アクセスマップ

詳細情報

名称 和歌浦
所在地 和歌山県和歌山市
問い合わせ先 073-444-4349 | 和歌の浦観光協会
休業日 -
料金 -
駐車場 -
公式サイト https://wakanoura-nihonisan.jp/
wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/和歌浦
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