五斗長垣内遺跡
ごっさかいといせき □兵庫県淡路市
播磨灘を借景に、弥生時代へタイムトリップ。
「ごっさかいといせき」と読むことに大変驚きましたが、訪ねてみるとその歴史もさることながら、美しいロケーションが何よりも印象的な遺跡でした。
五斗長垣内遺跡は淡路島の西海岸から東へ3kmほど、小高い丘の上にある弥生時代後期の遺跡です。2001年に発見されるまで1800年もの間、土の下で眠っていた弥生人の集落跡。発掘が進むにつれ、そこが鉄器を作る特別な場所であったことが分かり、その規模感も合わせて国の史跡に指定されました。
随所に復元された、竪穴式建物。
五斗長垣内遺跡はこの丘の上に東西500m、南北に50mほどの範囲に広がっていました。調査後に埋め戻されたエリアもありますが、現在は大部分が草原と、随所に復元された竪穴式建物によって構成されています。
山頂へ続く尾根のような場所でもあり、標高は約200m〜230mほどの細長い斜面地になっています。西側には播磨灘の穏やかな海原を見下ろし、その向こうには島々や播磨エリアの街が見晴らせます。海の方からは心地良い風が吹き上げてきて、真夏の暑さを少しだけ和らげてくれます。
この場所は、鉄器を作っていた特殊な集落。
復元された竪穴式建物は形にいくつかのパターンがあり、綺麗な円錐形のものや、小屋のようなものまで大小さまざまです。いずれも中に入ることが出来ます。内部は土が固められた床で、中心には釜戸があったかのような窪みがあったりします。そのことを遺跡の入口で学ぶことが出来ます。
実はこの遺跡は住居としての村ではなく、鉄器を作るための建物が集まっていた場所なのです。全部で23の建物跡が発見され、そのうちの半分以上には建物の中に鉄を加工するための炉の跡があったそうです。また同時にたくさんの鉄器や鉄片、また工具が見つかったといいます。
時の流れを遡って、想像が膨らむ。
この時代にこれほどの規模で鉄器生産が行われていたのは大変珍しいそうで、貴重な文化遺産として考古学界でも注目を集めました。まさに1800年前の工場のようです。そこで働いていた職人たちが住んだムラは、まだこの周辺の土の下で眠っているのでしょうか。時の流れを遡って、ちょっと想像が膨らみます。
実はこれよりも標高が低い地点では、大規模なムラの跡が発掘されています。舟木遺跡と呼ばれていますが、どうも五斗長垣内遺跡との関わりが考えられているそうです。さらに同じような集落が周りにあったとされ、この五斗長垣内遺跡を中心とした強大な勢力があったことも示唆されています。なんと興味深いことでしょう。
海を背景にした、開放感の中に。
150年ほど栄えていたと言われますが、ある時を境に急に衰退したそうです。それは邪馬台国の成立。−−−これ以上踏み込むと抜けられなくなってしまいそうなので、この後は個人的に学びたいと思います。いずれにせよ五斗長垣内遺跡に来たのはガイドブックで見た、海を背景にした開放感の中に、不釣り合いにも見える古代の復元建物のある風景。当初の期待通り、その景色は間違いなく素晴らしいものでした。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 五斗長垣内遺跡 |
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所在地 | 兵庫県淡路市黒谷1395-3 |
問い合わせ先 | 0799-70-4217 | 月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月28日~1月3日) |
休業日 | 五斗長垣内遺跡活用拠点施設 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 無料駐車場 |
公式サイト | https://www.city.awaji.lg.jp/soshiki/shakai/35134.html |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/五斗長垣内遺跡 |
食べログ | - |
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