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ぶらくり丁 ぶらくり丁

ぶらくり丁

ぶらくりちょう □和歌山県和歌山市
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不思議な魅力がある、かつての大繁華街。

かつては和歌山随一、また大阪の名だたる繁華街とも肩を並べるほどの規模と人気を誇った街は、今は変わり果てた姿になっています。ぶらくり丁は和歌山城の北側、官庁街と昔は堀だった市堀川を越えた一帯に広がる商店街です。全部で6つの商店街の集まりで、それぞれの間の区画も含めて全域がぶらくり丁と呼ばれています。インパクトのある名称で一度聞いたら忘れない和歌山の有名エリアですが、この30年ほどぶらくり丁が抱えている課題は大きく、そして根深いものがあります。そのことは承知の上で、今回訪ねてみました。

ぶらくり丁

和歌山の繁華街として大いに栄えた「ぶらくり丁」。1970年代頃までは、大阪南部の人でもぶらくり丁まで出向いたという。

ぶらくり丁 ぶらくり丁

今は閑散とした商店街になってしまった。

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かつての繁栄の面影は感じられない。

江戸時代から始まった、繁栄の歩み。

ぶらくり丁のはじまりは江戸時代後期。一帯で大火があった後の復興を機に、食品や衣料を扱う商人たちが集まってきたのがその興りです。店の数がどんどん増えて、どの店も軒先に扱う商品をぶら下げたていたことから、いつしかぶらくり丁と呼ばれるようになったそうです。明治から昭和初期にかけては、ぶらくり丁の絶頂期でした。人だらけで奥が見えない、前に進めないようなほどの賑わいだったといいます。
太平洋戦争で和歌山は空襲に遭い、このあたりは焼け野原になったようですが、その後目覚ましい復興を遂げたぶらくり丁。映画館が5館もあったり、歓楽街としての側面も強くなりました。

ぶらくり丁

明治から昭和初期にかけてはぶらくり丁の絶頂期で、戦争の空襲で焼け野原になっても目覚ましい復興を遂げたという。

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奥まで人影がない「中ぶらくり丁」。

ぶらくり丁 ぶらくり丁

ぶらくり丁を横切って流れる「和歌川」。

絶頂期の賑わいは、ミナミと肩を並べるほど。

実際に大阪南部の知人と話した時に、小さな頃は家族の買い物といえばわざわざ和歌山まで出かけてぶらくり丁で済ませたそうですし、その賑わいといったらミナミと変わらないほどだったと。1968年のヒット曲「和歌山ブルース」では「ぶらくり丁の恋灯り、真田堀ならネオン川」と唄われ、夜の灯火に蠢く人情模様が描き出されています。
ところが1980年以降にぶらくり丁に押し寄せた荒波は、想像以上にこの街の姿を変えてしまいました。

ぶらくり丁

1968年のヒット曲「和歌山ブルース」では「ぶらくり丁の恋灯り、真田堀ならネオン川」と唄われた。

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大通りに面したエリアも空き店舗が目立つ。

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商店街の暗さが際立つ「北ぶらくり丁」。

往時の賑わいもなく、寂れた商店街。

きっかけは様々な要因があるのでしょうが、近くにあった大学が移転したり、また郊外で大型のショッピングセンターが出来たり。決定的なのはぶらくり丁が南海和歌山市駅、JR和歌山駅のどちらからも遠かったこと。市内を隈なく走っていた路面電車がなくなってから、ぶらくり丁はものすごくアクセスが悪くなってしまったのです。さらに個人商店の集まりであることから後継者不足に陥り、店主の高齢化も加速しました。
ぶらくり丁にあった全部の映画館、百貨店や大型店舗がドミノ倒しのように閉店し、2000年代前半には往時の賑わいからは程遠い、寂れた商店街になってしまったのです。

ぶらくり丁

映画館や百貨店は閉店し、2000年代前半には往時の賑わいからは程遠い、寂れた商店街になってしまった。

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裏通りには昭和の哀愁が漂っている。

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もちろん今でも元気に営業している店舗も。

悲壮感や終末感は、感じられない不思議。

そんなことを事前に知った上で、ぶらくり丁を歩いてみました。各地で廃れた商店街を見たことがあるので、ボロボロになった店舗が並ぶ、ぶらくり丁もそんな感じだと想像していたんですが、ちょっと様子が違います。ぶらくり丁には約250もの店があるそうですが、イメージで半分ほどはシャッターが閉まっています。でも何かが違うのです。
それは、どこか小綺麗なのです。シャッターの塗装が剥がれたり、看板の文字が取れていたり、そんな店はひとつもないのです。落書きなんて全くありません。どの店も昨日は開いてて、今日はたまたま休業しているようにしか見えないというか。だから商店街はシャッター通りではあるものの、悲壮感や終末感は感じられないのです。それは、ちょっと不思議な光景でした。

ぶらくり丁

とはいえ「ぶらくり丁」が不思議なのは、よくある廃れたシャッター通りではないこと。悲壮感や終末感は感じられない。

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今はこれくらいの時間の流れでよいのかもしれない。

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「雑賀橋」を挟んで「中ぶらくり丁」を望む。

ぶらくり丁ならではの、今の姿。

のちに和歌山の知人から聞いたところによると、ぶらくり丁の商人たちは実はお金持ちで、どうやらもう店を開けなくても十分暮らしていけるそうなのです。だから自分の店を大切にするけれども、開けずにのんびりと暮らす。全員が決してそうでは無いでしょうし、それは高齢化の裏返しでもあるから課題であることに間違いはないのですが、ぶらくり丁ならではの今現在なのだなと、少し複雑な気持ちになったものです。

ぶらくり丁

閉まっている店舗でも、昨日は営業していたようにも感じる。昭和レトロな看板も、どこか小綺麗な佇まい。

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和歌川に架かる「雑賀橋」。

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ぶらくり丁から一本入った場所にある「銀座通」。

そこかしこに、昭和レトロが満載。

そんなぶらくり丁、散策する分には今でも魅力があります。そこかしこに昭和レトロが満載。古い看板や味のある店構え、時代を感じる横丁など、そぞろ歩きすればたくさんの懐かしい風景に出会えます。雑賀橋の袂にはレコードをモチーフにした、「和歌山ブルース」の記念碑も。一部では昭和レトロを活かしてリノベーションされた、新しい店もチラホラ出来ています。これからのぶらくり丁を作っていくうねりは、小さくとも確実に芽生えていることは感じられました。
完全に死んだ商店街ではないけれど、時代の大きな流れの中でちょっとひと休みしている街。何軒も並ぶシャッターのしまった店舗、しかしどこか清潔で品のあるシャッターを見ていると、そんなことが感じられました。

ぶらくり丁

そこかしこに昭和レトロが満載。古い看板や味のある店構え、そぞろ歩きすればたくさんの懐かしい風景に出会える。

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「和歌山ブルース」の記念碑がある川岸のテラス。

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今は閉店したスナックも外観に味がある。

photo.

アクセスマップ

詳細情報

名称 ぶらくり丁
所在地 和歌山県和歌山市本町
問い合わせ先 073-423-6912 | ぶらくり丁商店街協同組合
休業日 -
料金 -
駐車場 -
公式サイト -
wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ぶらくり丁商店街
食べログ https://tabelog.com/wakayama/A3001/A300101/30007361/
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