本能寺
ほんのうじ □京都府京都市
数奇な運命を辿った、波瀾万丈の寺。
織田信長が明智光秀に討たれた本能寺の変で、あまりにも有名な寺。しかしそれだけではなく、度重なる移転や戦乱による火災など波瀾万丈の歴史を辿ってきたお寺でもあります。
今は本能寺は京都の繁華街にあります。とはいえ河原町や新京極通の喧騒もこのあたりまでは届かない、静かな雰囲気がある場所。いや、本能寺があるからこそ静かなのかもしれません。激動の京都で数奇な運命を受け入れてきた本能寺を、秋深まる11月に訪れました。
総欅造りという、巨大な本堂。
本能寺の境内や堂宇は意外にも近代的です。古刹の雰囲気が好きな私には、やや拍子抜けするような佇まい。特に山門をくぐると左右に現代的なビルが2棟建っていて、風情はあまり感じられません。ただ正面に聳え立つ本堂は見事。1928年に再建されたものですが、創建の室町時代の様式を忠実に取り入れ、全てケヤキで建てられた巨大なお堂です。
本堂の南側には塔頭が並んでいます。本能寺には今でも七つの塔頭があり、そのうち龍雲院は後述する蛤御門の変で唯一消失を免れた建物として貴重です。各塔頭には表札もあり、今も実際に住まわれているようでした。
歴史の転換点を語る、織田信長の御廟。
本能寺境内の南東の隅に、織田信長の御廟があります。またその並びにも供養塔があり、いずれも本能寺の変の時に戦に散った武士達のもです。明智光秀の手勢による急襲で信長が自刃したのは本能寺だったかどうかは議論もあるようですが、このように実際のお墓を目の前にすると、やはりこの本能寺が歴史の転換点の舞台であったことを実感します。でも実は本能寺の変が起こったのはこの場所ではなく、現在の地に本能寺が移ってくる前の、別の場所。本能寺をはじめ、実は京都の寺は移転や焼失を繰り返してきたのです。
5度も火災で焼失したという、苦難の歴史。
本能寺は1415年に創建されました。当初は本応寺と記したようですが、何度かの移転を経たのち1433年に本能寺と改められました。その18年のうちに移転を繰り返したのは内紛だそうで、本能寺と改称してからも数多くの難題に直面してきた歴史があります。16世紀には子院30以上を数え隆盛しましたが、延暦寺僧兵による焼き討ち、本能寺の変、天明の大火、蛤御門の変など、事件が起こるたびに本能寺は炎に包まれ堂宇を焼失しました。結局全部で5度も焼失したことによって、今の本能寺ではこんなことが行われています。それは「本能寺」と書かずに、「本 䏻 寺」と表記すること。これは「能」の中にある「ヒ」を「火」と見立てられるのを避けるためなんだそう。度重なる火災が今の時代にも影響を与えていることが分かります。
火災を生き抜いた、「火伏せの銀杏」。
豊臣秀吉の命により、現在の地に移ってきたのは1591年。それ以降は火災のたびに復興し、現代に至るまで続いてきました。最後の焼失は幕末の1864年。そう考えると、本能寺の伽藍が近代的な匂いがするのも当然なのかもしれません。
境内の南西隅には、有名な「火伏せの銀杏」が鮮やかな黄色い葉を付けています。樹齢は約400年、本能寺の受難の歴史を、すなわち度重なる火災を生き抜いてきたイチョウでもあります。先にも挙げた天明の大火の時にはこのイチョウから水が出て、その周囲は延焼を免れたことからこの名がついたそうです。いかにも火災との関わりを示す言い伝えがあるのも、本能寺らしいことなのです。
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アクセスマップ
詳細情報
名称 | 本能寺 |
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所在地 | 京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522-1 |
問い合わせ先 | 075-231-5335 | 本能寺 |
休業日 | - |
料金 | 境内無料、宝物館500円 |
駐車場 | - |
公式サイト | https://www.kyoto-honnouji.jp/ |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/本能寺 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298564-d1386096-Reviews-Honnoji_Temple-Kyoto_Kyoto_Prefecture_Kinki.html |
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