敏馬神社
みぬめじんじゃ □兵庫県神戸市
万葉集に詠まれた、郷愁の岬で。
知り合いが毎年初詣に行くと聞き(それを聞いたのは20年以上前ですが)、また普段よく通る国道2号線に面して神社があることも知っていたけど、なかなか訪れる機会がなかった敏馬神社。少し時間が出来た週末の午後に、ふと思い出して訪ねてみることにしました。その前に、敏馬神社から東へ1.3kmほど離れたところにある沢の鶴資料館に立ち寄ったのですが、資料館の向かいにあった住吉神社という小さな神社に敏馬神社御旅所があり、また沢の鶴資料館でも「敏馬」という清酒が造られていて、偶然なのでしょうが少し縁みたいなものを感じつつ敏馬神社を訪れました。
急な石段は、かつて岬だった証。
敏馬は「みぬめ」と読みます。冒頭の知人は「みるめ」と呼んでいましたが、確かに地元ではその呼び方もあるようです。いずれにせよ、知らないとなかなか読めないです。古くは汶売、美奴売、三犬女などと書かれ、祭神である女神(ミヌメ神)のことを指す音でした。創建は201年と伝わる古社で、兵庫から大阪の海側によく見られる、神功皇后の新羅征伐の帰りに立ち寄って神を祀ったことが起源の神社です。
訪ねた日は敏馬神社の秋祭の日でした。国道に面した石の鳥居をくぐると、境内には露店が並び賑やかな雰囲気がありました。そして敏馬神社に特徴的なのが、鳥居があり露店が並ぶ広場から急激に地盤が上がり、急な石段を10mほど登ること。あきらかな高台となっているのですが、ここはかつて敏馬の崎と呼ばれる岬で、眼前には海が広がっていたのです。
古の人々の郷愁を誘った、敏馬の泊。
岬の東側には「敏馬の泊」という神戸最初の港のひとつがあり、遣隋唐使も船で立ち寄ったといいます。高台から眺める畿内の風景には遠く生駒山を見ることが出来たそうです。これより西に行くと生駒山が見られず、出発の時は最後に見る、また帰路には久々に望む畿内の象徴的な光景であり、多くの遣隋唐使が郷愁に浸った場所だったようです。その証左に、万葉集に収められた和歌にも「敏馬」という言葉がたびたび登場しています。その後の時代にも多く詠まれ、境内には柿本人麻呂の歌碑や、大伴旅人や吉田兼好などが詠んだ歌の札などが置かれています。そんなことでも、この敏馬神社の古い歴史を実感できます。
長い歴史を彷彿とさせる、境内の社殿。
そんな長い歴史の中でも、太平洋戦争での空襲や阪神淡路大震災など幾多の試練を乗り越えてきた敏馬神社。この日は秋祭ということもあり、境内には地元の氏子さんと見られる人たちが多く参拝されていましたが、いつの時代も人々の信仰を篤く集めてきた神社なのでしょう。焼失しても倒壊してもその度に再興され、現在でも岬を彷彿とさせる立地に悠々と鎮座しています。
境内には複数の摂社があり、水や航海に因んだ社があります。また酒造の神とされる松尾神社があるのは、灘五郷として繁栄したこのあたりの歴史にも関係しているのでしょう。敏馬神社の主祭神は素盞嗚尊で、天照皇大神・熊野坐神を配祀しています。古来より悪縁切りのご利益があるとされ、聞けばちょっと怖いような、さまざまな縁切りの方法なども伝えられているそうです。
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アクセスマップ
詳細情報
名称 | 敏馬神社 |
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所在地 | 兵庫県神戸市灘区岩屋中町4丁目1-8 |
問い合わせ先 | 078-861-2091 | 敏馬神社 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | 無料駐車場 |
公式サイト | - |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/敏馬神社 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298562-d7743261-Reviews-Minume_Shrine-Kobe_Hyogo_Prefecture_Kinki.html |
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