呉服神社
くれはじんじゃ □大阪府池田市
呉服の語源でもある、由緒ある神社。
一般的に絹織物のことを指す「呉服」という言葉。今では和風全般を意味する言葉にも受け取られがちですが、元来は中国から伝わった絹織物の生地、または絹でできた服のことを指します。そしてその「呉服」という言葉のルーツになっているのが、大阪府池田市にある呉服神社。阪急の池田駅から歩いてすぐのところ、閑静な住宅街の中に鎮座する神社です。呉服は日常では「ごふく」と読みますが、呉服神社は「くれは」と読むのが正式名称です。知らないと読めない難読系ですが、なぜ「くれは」なのか。それは呉服神社の成り立ちに深く関係しています。
呉国から伝わった、絹織物の技術。
呉服神社は非常に古い歴史を持っています。創建は389年で、今から1600年以上も昔のこと。中国で絹織物の技術を会得して渡来した呉服媛(くれはとりのひめ)という人物がこの近くに機殿を構え、没後にその功績を称えてこの地に祀られたそうです。当時の中国を治めていた国「呉(くれ)」の「服(はとり)」から「くれは」だけが残ってそう呼ばれるようになりました。まさにこの地に機織りの技術が伝来し、その後の日本での服装のはじまりとなったということ。今でもアパレル関係者から絶大な信奉を集める神社なのです。
生活道路に唐突に、呉服神社の石鳥居。
池田駅から呉服神社に向かう途中、線路脇のアスファルトの道路に唐突に鳥居が建っています。太古の昔からこの場所にあったのでしょうし、むろん時代が進むにつれて更新されてきたのでしょうが、街の開発が進んでもなお大切に残されることには感慨深いものがあります。参拝者を迎える門もまた区画整理された町の碁盤の目とは異質な、一本だけ斜めに続く道の先にあります。小さな門をくぐれば、正面に拝殿、右手には恵比須神社があり、その2殿は際立って目立っています。またそれらの周囲にも、一見しただけでもたくさんの摂末社があり、呉服神社の長い歴史を物語っているようです。
呉服の色彩や紋様を想起させる、華麗な拝殿。
拝殿の美しさには、とにかく目を惹かれます。まさに呉服の華麗な色彩や紋様を想起させるもので、一般的な神社の朱色とはまた違う、艶やかな赤色が使われています。また拝殿の正面左右の壁には、神社にはめずらしいステンドグラスがはめ込まれているのも大きな特徴です。この拝殿は1969年に再建されたものですが、その奥に鎮座する本殿は1604年に再建されたもの。戦国時代末期の戦火に焼かれたのち、豊臣秀頼によって再興されたそうです。両サイドから本殿を眺められますが、独特の雰囲気を持った風趣ある建築です。
独特のオーラを纏う、恵比須神社。
また恵比須神社も同じく独特のオーラを纏った建物です。拝殿の奥に本殿を構えていて、大きすぎることもなくちょうどいい規模感で境内に佇んでいます。サッパリとした雰囲気の外観と、外側に無数に並ぶ奉納提灯が印象的。正月の十日えびすでは、商売繁盛を祈願する参拝者で大変な賑わいを見せます。また境内の隅々にまで摂末社が建ち並び、学業成就の天満宮、商売繁盛・五穀豊穣にご利益がある稲荷大明神、ほかにも両皇大神社や六社など様々なご利益がある摂社末社が鎮座しています。
ちなみに呉服媛のほかにもうひとり、中国からこの地に渡来した人物がいました。穴織媛(あやはとりのひめ)と呼ばれるその人物は、近くの伊居太神社(いけだじんじゃ)に祀られています。伊居太神社は池田市で最も古い神社。この呉服神社とは密接な関係にあり「上の宮」「下の宮」とも呼ばれます。今回は駅に近い呉服神社だけの訪問でしたので、またあらためて伊居太神社も訪ねたいと思います。
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アクセスマップ
詳細情報
名称 | 呉服神社 |
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所在地 | 大阪府池田市室町7-4 |
問い合わせ先 | 072-753-2243 | 呉服神社 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | - |
公式サイト | https://kureha-shrine.com/ |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/呉服神社 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1023473-d8129412-Reviews-Kureha_Shrine-Ikeda_Osaka_Prefecture_Kinki.html |
LAST VISIT | 202210 |
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