白神社
しらかみしゃ □広島県広島市





平和の尊さを語る、都市に鎮座する古社。
平和大通りを散策していた時に偶然見つけた白神社。南北の主要道路である鯉城通りとの交差点という、平和大通りの中でも最も目立つ交差点の角にあるので、偶然というか必然的にたどり着いた気もします。「しろじんじゃ」ではなく「しらかみしゃ」と読むのですが、その理由はのちに述べる歴史が説明してくれます。市民からは「しらかみさん」と呼ばれ、非常に親しまれている神社です。

平和大通りと鯉城通りの交差点にある「白神社」は、広島市民から「しらかみさん」として親しまれている神社。


正式には「しらかみしゃ」と読む。


高いビルに囲まれた境内。
本殿の基礎になった、天然の岩礁。
まず最初に目に入ったのは、白神社の社殿の基壇部になっているゴツゴツとした岩場でした。この都会の真ん中で、どこかから持ってきて積み上げたのではなく、昔から変わらずここにあります、そんな雰囲気がふつふつと湧き出している岩場です。実はこのあたりは昔は海であり、波に削られて出来た岩礁がそのまま残っているのです。この岩場が海面から突き出していて船の衝突が絶えなかったため、岩礁の上に白い紙が掲げられ、衝突事故を防止する役割を担っていました。三角州が土砂を運んできたり、埋め立てや干拓で海岸線は沖の方へ移動、陸地に残されたのが今の白神社の岩場です。白い紙で海の安全を守ってきた岩場への畏敬の念が、やがてここに祠を建てて神様を祀ることにつながりました。「しらかみ」というのは白い紙の継承でもあるのです。

本殿が鎮座する岩場は、かつて海に面していた岩礁がそのまま残っているもの。古い時代から、海の安全を守ってきた。


古くは波に洗われる海岸だった。


白神社の拝殿。
灰燼に帰した日から、蘇った白神社。
創建は不明だそうですが、毛利輝元が広島城を築いた頃にはかなり広大な境内を持ち、また輝元によって1591年に新しい社殿も建てられました。そして広島城主の氏神として、大切に崇められていたといいます。
しかし広島への原爆投下により、全てが失われてしまいます。爆心地から600mほどしか離れていない白神社、境内の社殿はすべて焼失し、その被害は壊滅的でした。10年後に本殿が再建されましたが、街の復興計画や道路整備などで境内はごく小さなものになりました。なので今の大きさで交差点の角に鎮座しています。境内はこぢんまりとしていて、鳥居をくぐればすぐに拝殿に上がる階段になります。お詣りをしましたが、宮司の方がお祓いをしてくださいました。普通にお参りするだけでのお祓いは初めての経験でしたが、どうやらお参りをした全ての人にお祓いをされているようです。とてもありがたい気持ちになります。

白神社の常夜灯の下半分は黒ずんでいる。これは原爆の爆風で上半分さ崩壊したものの、基壇部だけ焼けずに残ったもの。


白神社の拝殿。戦後に再建された。


境内にある「常磐稲生神社」。
戦争による傷跡が、今も残る境内。
境内には今も戦争による傷跡が残っています。機銃掃射の傷跡が残る常夜灯、鼻が欠けてしまった狛犬、被爆したクスノキ。都心の大きな交差点の一角に時間が止まったような境内から、通りをゆく人々に平和の尊さを語りかけている白神社でした。

常夜灯の他にも鼻が欠けてしまった狛犬、被爆したクスノキなど、戦争による傷跡が残っている。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 白神社 |
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所在地 | 広島県広島市中区中町7-24 |
問い合わせ先 | 082-247-1363 | 白神社 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | - |
公式サイト | - |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/白神社 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298561-d3627778-Reviews-Shirakami_Shrine-Hiroshima_Hiroshima_Prefecture_Chugoku.html |
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