相生橋
あいおいばし □広島県広島市
原爆投下の標的とされた、T字型の橋。
相生橋は原爆ドームのすぐ横にある、全国的にも珍しいT字型の橋です。大通り側の部分には路面電車の2軌道と車の4車線が走り、幅が約40mある橋。橋の長さが120mあるその中間地点から、下流側にある広島平和記念公園の先端部分に向かって伸びる「連絡橋」と呼ばれる幅約12mの橋が分岐しています。相生橋は本川(旧太田川)の上に架かっていますが、橋の下流すぐのところで本川と元安川に分岐します。その中洲のようなエリアに広がる広島平和記念公園とを繋ぐことでT字の橋になっているわけです。
空から見つけやすかった、相生橋のかたち。
1878年に初代の相生橋が架けられた時は今よりも少し南にあり、T字型ではありませんでした。その後街の移り変わりとともに北側に移動し、その分の長さだけ連絡橋ができ、1934年には現在の形になったようです。しかしそのわずか11年後、相生橋を未曾有の悲劇が襲ったのです。
真上から見るとまさに「T」の形をしていてその特徴的な形状は空からも見つけやすいため、原爆投下の標的ポイントになっていたと言われます。実際に訪ねてみても、やはり思うことは原爆のことです。今は車がひっきりなしに通り、路面電車も頻繁に行き交います。橋の東側に官庁街や繁華街が広がり、広島市の中枢部への西側の玄関といった感じ。しかし原爆投下当時はその目標地点であり、実際には少しずれたところで炸裂しましたが、その後の惨状は過酷なものだったと言われます。
今は想像しづらい、相生橋の壮絶な惨状。
爆発の火の玉が直撃するような場所であり、橋にいた人々は全員即死したそうです。相生橋自体は全壊はせずとも、欄干は失われ、また歩道は変形して盛り上がったりしました。爆風により変形した橋桁の一部は、今も広島平和記念資料館で展示されています。そんな相生橋の上に立っていると、今の姿からは想像も出来ない壮絶な惨状があったことに、足元が震えるような感覚を覚えます。しかしそれはこの橋だけのことではなく、広島市全域で起こっていたことなのです。
鎮魂と平和そのものが、相生橋から眺められる景色。
相生橋は被爆後すぐに復旧工事が行われ、1ヶ月も経たない9月7日には再び路面電車が走るまでになったそうです。驚異的なことだと思います。橋全体もその後復旧され、交通の面で広島の復興を支えたのです。さすがに老朽化が目立ってきた1983年には新しく架け替えられ、現在まで活躍しています。
橋から見える景色はとても美しいものです。緩やかな川の流れ、傍で全てを語るのは原爆ドーム、連絡橋の先に広がる広島平和記念公園の豊かな森。毎年の原爆記念日には元安川から犠牲者を弔う灯籠流しも行われます。鎮魂と平和そのものが、今の相生橋から眺められる景色です。また平和記念公園内には、かつての相生橋の記憶が点在しています。橋の袂には被爆した橋の親柱が保存展示されていて、その隣には「旧相生橋碑」が建てられています。決して大きな橋ではないですが、特徴的な形、周囲の風景、そして歴史的な意義でも、非常に見応えのある橋でした。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 相生橋 |
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所在地 | 広島県広島市中区基町22-1 |
問い合わせ先 | 082-513-3891 | 広島県道路企画課 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | - |
公式サイト | https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/97/aioi-bridge.html |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/相生橋 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298561-d8505164-Reviews-Aioi_Bridge-Hiroshima_Hiroshima_Prefecture_Chugoku.html |
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