原子爆弾落下中心地
げんしばくだんらっかちゅうしんち □長崎県長崎市
同心円が描くのは、悲劇と平和。
長崎平和公園の近く、国道206号線沿いにある豊かな樹木に囲まれた公園ですが、ここは戦争の惨さを今に伝える悲しみの公園でもあります。この場所の上空で、長崎に投下された原爆が炸裂したのです。今は当時の惨状は想像しがたいほど、優しく平和な時間が流れる公園です。しかし園内の随所に原爆による遺構が保存展示されてあり、原爆の恐ろしさを実感できる場所になっています。
爆心地の地表温度は、3000℃を超えた。
1945年8月9日、松山町の上空約500mでアメリカ軍が投下した原子爆弾が炸裂しました。一瞬で巨大な火の玉になった原爆は、壮絶な爆風と熱線によって長崎の街を焼き尽くしました。爆心地であるこの場所の地表温度は3000℃を超えたと言われ、周辺は跡形もないほどに破壊されてしまいます。この場所は、まさにその真下であった地なのです。真下であったがゆえに爆風も垂直で、この近辺の林だけは倒れずに残っていたそうです。公園には原子爆弾落下中心地の碑が建てられており、そこから同心円状にタイルが貼り分けられています。碑の横には原爆死没者名簿を複写したマイクロフィルムが保存されている「原爆殉難者名奉安」があり、この場所が原爆による災禍の根源地であったことを物々しく語っています。
傍で佇むのは、浦上天主堂の遺構。
園内には他にも被爆した事物の遺構が見られ、浦上天主堂の壁面の遺構がとくに印象的でした。爆風により全壊した天主堂ですが、かろうじて残った南側の壁が移設されています。また当時の地層がそのまま展示されている一角があって、粉々になった屋根瓦やレンガ、ガラスや茶碗などが乱雑に積み重なった土の層が見学できます。一瞬で街がめちゃくちゃになったそのままが残されていて、原爆の恐ろしさをまじまじと感じます。そして気付きます。この原子爆弾落下中心地の公園の地下には、今もこのむき出しの地層と同じものがそのまま埋まっているのだと。
新緑を纏った樹々が、風にざわめく。
しかしこの日、原子爆弾落下中心地はいたって穏やかです。新緑を纏った樹々が風にざわめき、明るい日差しが降り注いでいます。やや暑さを感じる梅雨前の晴れ間に、木陰のベンチで涼を取ります。修学旅行の一団が、クラスごとに慰霊碑の前を通り過ぎてゆきます。私は長崎のことをまだまだ全然知らない人間ですが、彼らにも戦争のこと原爆のことをたくさん学んで欲しいと思いました。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 原子爆弾落下中心地 |
---|---|
所在地 | 長崎県長崎市松山町6 |
問い合わせ先 | 095-829-1164 | 長崎市中央総合事務所 地域整備1課 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | - |
公式サイト | - |
wikipedia | - |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298568-d4746017-Reviews-Hypocenter_of_Atomic_Bombing-Nagasaki_Nagasaki_Prefecture_Kyushu.html |
LAST VISIT | 202206 |
※掲載のデータは当ページ更新時点でのものです。以後の変更や詳細な情報につきましては、ご自身でお問い合わせの上ご確認いただきますよう、あらかじめご了承ください。