新天町商店街
しんてんちょうしょうてんがい □福岡県福岡市
博多の戦後復興を、牽引した誇り。
福岡の繁華街、天神をぶらぶら歩いていた時に、ある一角でふと感じたのは昭和的懐かしい香り。再開発での発展が目覚ましい街の中に、やや取り残された感もある「ちょうどいい」古さを、この新天町に感じ取りました。
新天町とは、「新しい天神町」という願いも込めた命名で、太平洋戦争末期の大空襲で焼け野原と化した天神の街の復興の旗印としてスタートした商店街でした。もともとはサザエさんの作者・長谷川町子さんも通った福岡高等女学校があった土地で、その後他校や警察署への転用を経て、空襲で焦土化されてしまった場所なのです。戦後すぐに、他の地域では闇市が広がりました。しかしこの地ではきちんとした商売をやっていこうという理想をもって計画されたのが、新天町商店街なのです。
満ちていた、独特な雰囲気に惹かれて。
いわば商人たちの誇りを原動力に立ち上がった復興への狼煙。それはとても固く、力強いものでした。終戦翌年の1946年には商店街として産声を上げ、さらに5年後には西日本で初めてのアーケード商店街として発展しました。そんな過去があるとはこの時は知りませんでしたが、新天町商店街に満ちていた独特な雰囲気に惹かれて、全部歩いてみることにしました。
新天町商店街は大きな一つの建物のようにまとまって建てられています。南通り、北通りの2本の通りと、それらをつなぐ通路が交差しています。そのすべてにアーケードがあるため、全体として一体感のある商店街になっています。天井からぶら下がる提灯の装飾も情緒があります。お店は本当に多種多様で、飲食店や土産物店、雑貨、書店、美容室、ブティック、呉服などなど、ありとあらゆる専門店が揃っています。全部で100店舗ほど。もっとも西側の3Fにある「新天町倶楽部」はこの商店街で働く人のための食堂ですが、一般客も利用できることで人気です。安くて美味しいと評判のお店です。店内にはなんと岡本太郎氏の作品もあるのだとか。
日本一大きな時計台、「メルヘンチャイム」。
歩いていると、「思い出写真館」という区画がありました。新天町商店街の発足から発展、それから毎年奉納している博多祇園山笠の飾り山笠の写真などがパネル展示されていました。商店街だけでなく、博多の街の復興にも大きく貢献していたことが分かり、新天町の存在の大きさに気付かされたわけです。
ひとしきり歩いた最後、新天町商店街のシンボルでもあるメルヘン広場に行ってみました。ここには「メルヘンチャイム」という名物の時計塔があります。高さ17m、幅は25mもある巨大なもので、銘板によると日本一大きな時計台なのだそう。毎時0分になると、壮大な仕掛けが動き出し、毎時違う音楽でチャイムが鳴ります。ちょうど3分前だったので、少し粘って見学。上下に左右に、ダイナミックな動きを見せる仕掛け時計でした。
昔も今も、元気な福岡を盛り上げる商店街。
このメルヘン広場で、博多どんたくの時には『新天町どんたく演舞台』が、博多祇園山笠の時には飾り山笠が設置され、商店街は一気にお祭りムード満点になるといいます。新天町商店街は、昔も今も、元気な福岡を盛り上げている素敵な商店街でした。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 新天町商店街 |
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所在地 | 福岡県福岡市中央区天神2丁目9 |
問い合わせ先 | 092-741-8331 | 新天町商店街商業協同組合 事務局 |
休業日 | 店舗による |
料金 | - |
駐車場 | - |
公式サイト | http://www.shintencho.or.jp/ |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/新天町 (福岡市) |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g14135106-d3347449-Reviews-Shintencho_Shopping_Street-Tenjin_Chuo_Fukuoka_Fukuoka_Prefecture_Kyushu.html |
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