鶉野飛行場跡
うずらのひこうじょうあと □兵庫県加西市





田園風景に突然現る、悲劇の飛行場跡。
太平洋戦争で起こった悲劇の象徴のように今も語られる、戦闘機による神風特攻隊。片道だけの燃料と爆弾を積んで、はるか遠い海の上で、戦闘機ごと敵艦に突っ込んで体当たりする自爆攻撃を行う部隊です。若くて優秀な人間が無惨にも戦火に散り、戦争の悲惨さだけが今もなお歴史に残る悲劇。「白鷺隊」と命名された神風特攻隊が、この鶉野飛行場から飛び立ってゆきました。昭和20年のことで、合わせて63名のパイロットが命を落としたと記録されています。鶉野飛行場とは、そんな悲しい歴史を持つ場所なのです。

太平洋戦争で起こった悲劇の象徴「神風特攻隊」。「白鷺隊」と命名された神風特攻隊が、この鶉野飛行場から飛び立っていった。


飛行場付近には多くの戦争遺産も残る。


目玉施設である「紫電改」の格納庫。
景色の遠くまで、一直線に伸びる長大な滑走路。
1200mに及ぶ滑走路が、今も播磨の田園風景の中にくっきりと残っています。所々に公道が横切るものの、そこに立てばこの場所が滑走路だったことはよく分かります。景色の遠くまで一直線に伸びる長大な人工物です。
鶉野飛行場は昭和18年に、海軍航空隊のパイロット養成のために造営された飛行場でした。すでに悪化する一方の戦局の最中、国を守るために空を志した若人たちの英霊が、今も志真っ直ぐにこの地に眠っているように感じられます。まずはこの飛行場跡に心の中で敬礼し、一画にある格納庫らしき建物を訪ねました。

1200mに及ぶ滑走路が、今も播磨の田園風景の中にそのまま残っている。景色の遠くまで一直線に伸びている。


鶉野飛行場は昭和18年に造営された。


戦後まもなく閉鎖されそのままに放置されていた。
精巧で実物大の、「紫電改」のレプリカ。
飛行場跡の北東側にあるこの格納庫には、立派な原寸大の当時の主力戦闘機「紫電改」のレプリカが格納されています。この日はたまたま公開日だったため、間近に見学できました。本物にしか見えないくらい精巧なレプリカで、その大きさや美しいフォルムが印象的でした。コクピット体験やガイドさんの説明なども聞くことができ、戦争というものをよりリアルに知ることができる機会でした。格納庫の裏手には神風特攻隊として亡くなった方々の慰霊碑も建てられていました。

飛行場跡の北東側にある格納庫には、当時の主力戦闘機「紫電改」の原寸大レプリカが展示されている。


「紫電改」は定期的に公開されている。


写真や映像で見たままのリアリティ。


想像していた以上に大きな航空機だった。


敷地内に建てられた慰霊碑。
周囲には、防空壕や対空砲などの戦争遺跡が点在。
また戦争末期には軍需施設として爆撃の標的ともなったそうで、鶉野飛行場跡の周囲には防空壕や対空砲などの戦争遺跡が点在しています。それらを巡る散策ルートも整備されており、より深く戦争のことを知る絶好の機会となっています。
今、ここにあるのは当時とは真反対に、平和な世界。真冬でしたが偶然訪れた日は小春日和で、目に映るすべての事物にひとときの安堵と平穏が宿っていた風景でした。今から約80年近く昔の、いや、昔ではなく今につながる過去のことを、この平和な世界の間隙を縫って感じ取りながら歩きました。

軍事施設は爆撃に晒された。周囲には防空壕や弾薬庫もそのまま残されており、今は戦争の恐ろしさを伝える役割を果たしている。


滑走路南側にある大きな防空壕。


内部はシアターとして使われることもある。


「姫路海軍航空隊衛兵詰所跡」に残る門柱。


中を覗ける防空壕もあった。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 鶉野飛行場跡 |
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所在地 | 兵庫県加西市鶉野町 |
問い合わせ先 | 0790-42-8757 | 鶉野飛行場跡 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | 無料駐車場 |
公式サイト | https://uzurano.com/ |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/鶉野飛行場 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1022832-d8539519-Reviews-Uzurano_Airfield-Kasai_Hyogo_Prefecture_Kinki.html |
LAST VISIT | 202201 |
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