心斎橋
しんさいばし □大阪府大阪市
歴史に翻弄されながら、粛々と伝統を紡ぐ名橋。
心斎橋というと、関西に住んでいなくてもまずは華やかな街を想像するのではないでしょうか。高価なブランドショップが並び、街の中心には大きな百貨店があり、アメリカ村を始め若者が集まる流行の発信地でもあり。心斎橋筋商店街はいつも人通りでいっぱいだし、銀杏並木が美しい御堂筋では散歩を楽しむ人もいます。
でもここで書く心斎橋は、その字の通り、橋の話。少し変わっていることは、日本100名橋に選ばれている心斎橋は、今や巨大な街に飲み込まれて人々の意識から消え去ってしまったこと。もちろんかつては絶大な存在感でしたが、大阪の街が近代化するにつれて木橋→鉄橋→石橋と姿を変え、ついには長堀川が埋め立てられた時に撤去されたという波乱の生涯なのでした。
「日本の橋100選」に選ばれているものの、実際の橋は今は存在しない。
場所を変えて現存する、日本最古の鉄橋。
心斎橋が初めて架けられたのは、長堀川が運河として開削された江戸時代初期と言われています。商都に開かれた狭い運河を渡る、小さな木橋として造られたものでした。岡田心斎という人物が架けたので、その名を心斎橋と呼ばれました。
やがて近代化が進んだ明治6年、当時はたいそう珍しいものだったという鉄橋に作り替えられます。大阪では高麗橋に次いで2番目、日本で5番目の鉄橋でした。しかし明治41年に撤去された後は市内各地を転々と移設され、それぞれの地で名を変えて使われました。最終的には昭和48年に鶴見緑地に移され、今も現存する日本最古の鉄橋として存在しています。
たまたま近くの工事現場のパネルに、在りし日の心斎橋の写真が載っていた。
時代の流れは、川の流れをせき止めてしまった。
戻って明治42年、前年に撤去された心斎橋は今度は石橋に作り替えられ、戦後までそのまま使われます。その後橋の周囲の街並みは著しく発展し、今のように多くの人が集まる繁華街となります。時代の流れは川の流れをせき止めてしまい、昭和37年に長堀川は埋め立てられ、道路になりました。心斎橋は歩道橋として残りましたが、もはや橋脚を濡らす川もなく、またいでいるのは無数の車列。橋にとっては橋の本分を全うできない、苦々しい年月を過ごします。
木橋→鉄橋→石橋と変遷した3代の心斎橋のモニュメント。
思い出を噛み締めながら、心斎橋はそこにある。
しかしまた時は流れ、かつて川底だった場所には地下鉄が走るようになり、それに合わせて長堀通の地下には広大な地下街「クリスタ長堀」がオープンしました。歩道橋は撤去されたものの、今度は元々架かっていた場所に、石橋の一部が復元されています。かつての川の流れを模したようにクリスタ長堀の天井には水が流れ、思い出を噛み締めるようにして心斎橋はそこにあります。時代に翻弄された心斎橋。今は全長7.5mしかなく、横断歩道の中央分離帯部分に一部復元されたのみですが、橋の下には水も流れます。それは橋だとはほとんどの人に気づかれずに、そっと静かに時代の流れを見つめています。
よく見ると横断歩道の脇に、最後の心斎橋の欄干の一部が残されている。
かつてここに川があったことを語る水景。
地下街の天井も、川をイメージさせる意匠に。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 心斎橋 |
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所在地 | 大阪府大阪市中央区南船場4丁目 |
問い合わせ先 | 06-6282-2100 | クリスタ長堀 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | 周辺有料駐車場 |
公式サイト | - |
wikipedia | http://ja.wikipedia.org/wiki/心斎橋 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298566-d325725-Reviews-Shinsaibashi-Osaka_Osaka_Prefecture_Kinki.html |
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