少彦名神社
すくなひこなじんじゃ □大阪府大阪市
船場のビル群に隠れた、日本医薬総鎮守。
大阪商人はじまりの地、船場。豊臣秀吉が築いた、通りと筋が碁盤の目のように行き交う古くからの商いの街です。大阪きってのビジネス街でありながら、明治や大正時代に建てられた歴史的価値の高い建築物も点在し、大阪商人の誇りと気品が漂う街。かつては通りごとに各業界のライバルが凌ぎを削りました。そんな船場の中、北浜エリアの道修町は薬を扱う会社が集まった町。そしてその道修町にある、薬や病気平癒のご利益で有名なのが少彦名神社です。
製薬・医療・健康に、縁が深い神社。
かつて大大阪時代と呼ばれた頃の大阪のメインストリート、堺筋から西に少し入った場所。ビルの谷間というか、隙間のような狭い境内が少彦名神社です。表には道に面して注連柱があり、ビルとビルの間の路地のような参道が30mほど奥へ続いています。横には「薬」の文字をモチーフにした紋をあしらった提灯が並びます。大きなガラスケースが3台あって、そこには製薬会社の薬がたくさん展示されています。どうやら製薬、医療、健康にかなり縁が深い神社のようです。参道を抜けると少しばかりの広場があり、脇にはクスノキが一本。そして正面に拝殿があります。どこかで鈴虫が鳴いていて、夏だけど涼しい雰囲気を感じます。
境内のいたるところに、張子の虎。
拝殿の唐破風の下には、大きな虎の飾りが提げられています。内部が電照式になっていて、とても目立っています。なぜ虎なのか。そういえば少彦名神社の境内には、いたるところに虎がいます。賽銭箱の向こう側にも虎、御守りに売られているのは張子の虎。小さな御守りにも虎が描かれています。江戸時代に大阪で流行した疫病に対して、「虎頭殺鬼雄黄圓」という薬を張子の虎とともに配ったところその疫病を克服したと言われ、それ以来少彦名神社では張子の虎が御守りとして重宝されるようになったのだそうです。この日は、私の大切な家族の病気平癒を願った少彦名神社への参拝。その後の結果として、虎の御守りのご利益があり大変助けられました。
親しみを込めて、「神農さん」と呼ばれる。
少彦名神社が創建されたのは1780年、江戸時代も後半です。それまでこの地にあったのは薬商たちの寄合所で、中国医薬の祖神・炎帝神農が祀られていました。そこに日本医薬の祖神・少彦名命を合祀したのが少彦名神社の興りです。そしていつしか日本医薬の総鎮守として、多くの製薬会社や病院関係者、もちろんたくさんの一般の人々からも信仰を集め、親しみを込めて「神農さん」と呼ばれています。
しかし境内はほんとに小さいです。でもよく見ると、社務所は隣のビルと一体となっていますし、お参りした後の帰り道は隣のビルのピロティを通ります。どうやらこのビルも少彦名神社の建物のようです。通りまで出て振り返ってみると、たしかに注連柱がビル側まであり、その横には石標と虎の像もありました。建物には「くすりの道修町資料館」と看板があり、この薬の町が歩んだ歴史を学ぶことができます。また毎年11月22日と23日には「神農祭」が行われます。一年間で大阪市内で行われる最後の祭としても知られ、無病息災を願うたくさんの人々が、張子の虎の御守りを求めて集まります。健康を願う気持ちは、いつの時代も変わらない普遍的なものなんだと、あらためて思わせてくれる神社でした。
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アクセスマップ
詳細情報
名称 | 少彦名神社 |
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所在地 | 大阪府大阪市中央区道修町2丁目1-8 |
問い合わせ先 | 06-6231-6958 | 少彦名神社 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | - |
公式サイト | https://www.sinnosan.jp/ |
wikipedia | https://ja.wikipedia.org/wiki/少彦名神社_(大阪市) |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g14127623-d6107119-Reviews-Sukunahikona_Shrine-Chuo_Osaka_Osaka_Prefecture_Kinki.html |
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