難波橋
なにわばし □大阪府大阪市






中之島の歴史を、深く見つめてきたライオン橋。
関西屈指の金融街で、文化財レベルのレトロ建物が今も多く残る北浜周辺。この町のメインストリートとなる堺筋を、途中の中洲である中之島を挟んで、土佐堀川、堂島川を越えて架かる橋が難波橋です。
通称ライオン橋。それぞれの欄干の両端に4頭のライオンの像が立っているため、親しみを込めてそう呼ばれています。ライオンの像は近くで見ると実に見事で、今にも動きだしそうなほどの躍動感があります。天岡均一作のその像は左右一対の阿吽像で、左側が金剛力士像のように口を開いた阿形像、右側が口を結んだ吽形像となっています。高さは約3.5mもあり、間近で見るとなかなかの迫力。また橋の装飾にも時代を感じさせる豊かな表情があり、華麗な装飾灯や石造りの階段、市章を組み込んだ欄干など、じっくり観察しながら歩くのもまた楽しいものです。

欄干の両端に4頭のライオンの像が立っているため、親しみを込めて「ライオン橋」と呼ばれる。


南半分は土佐堀川、北半分は堂島川の2本の川を跨ぐ。


石造りの繊細な意匠も見どころ。
天神橋・天満橋と並んで、浪花三大橋と呼ばれた。
難波橋は大阪の歴史を深く見つめてきた橋で、最初は行基によって704年に架けられたと伝えられています。江戸時代には今より少し西側に架かっていましたが、中之島が拡張される前だったので、約200m以上もの長さがあったそうです。さらに木造の反り橋だったというその堂々たる容貌によって、当時は天神橋・天満橋と並んで浪花三大橋と呼ばれていました。大坂の八百八橋と呼ばれた中でも代表的な橋で、行楽地としても人気があり、夕涼みや舟遊び、花火見物など、難波橋は絶えず人が集まり賑わっていたそうです。

現在の橋は1915年に架橋されたもの。至るところに歴史を感じる。


初めてここに橋が架けられたのは704年と伝わる。


ライオン像は仁王像と同じ「阿吽」の表情をしている。
大阪の古き良きモダニズムが、今も息付く。
中之島が拡張された1876年、難波橋は二つの川を渡る鉄橋となり、1912年にはそれまでの難波橋筋から堺筋へと架け替えられました。現在の橋は老朽化により1975年に改修されたものですが、その長い歴史をふんだんに引き継いだ橋としてリニューアルされました。
橋の下には中之島公園が広がっています。その公園の小径を歩けばすぐにあるのが重要文化財である大阪市中央公会堂、大阪府立中之島図書館など。北浜周辺にも大正や昭和初期のレトロビルが数多く立ち並びます。大阪の古き良きモダニズムが今も息付く北浜と中之島の街並みを、これからも伝統として継承していくために、ライオンは屈強な見張り番として見守っているように思えてきました。

周辺はレトロ建築と水辺の緑が美しい中之島エリア。難波橋の意匠もその景観に寄与している。


中之島のランドマーク「大阪市中央公会堂」。


中之島公園のバラ園の賑わい。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 難波橋 |
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所在地 | 大阪府大阪市北区中之島1~中央区北浜1 |
問い合わせ先 | 06-6615-6818 | 大阪市建設局道路部橋梁担当 |
休業日 | - |
料金 | - |
駐車場 | - |
公式サイト | http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000023795.html |
wikipedia | http://ja.wikipedia.org/wiki/難波橋 |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298566-d10522208-Reviews-Naniwa_Bridge-Osaka_Osaka_Prefecture_Kinki.html |
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