朝来市旧生野鉱山職員宿舎
あさごしきゅういくのこうざんしょくいんしゅくしゃ □兵庫県朝来市
家族の温もりを感じる、懐かしき明治時代の住宅。
たまたま通りがかりに入った山間の町の何気ない一角、綺麗に整えられた漆喰塀に囲まれた敷地には、うっとりするほど懐かしく美しく清潔な建物が並んでいました。平屋で赤瓦が印象的なその建物群は、朝来市旧生野鉱山職員宿舎。主に明治時代に建てられ、鉱山職員の家族が暮らした住宅です。とても綺麗に手入れがされていて、もちろん入れ替えた建築材もあるのでしょうけど、当時の暮らしが臨場感たっぷりに感じられる施設なのです。それぞれの建物に入ることもできて、なんと無料。つい通り過ぎてしまいそうな佇まいなのですが、ここは必ず訪れることを勧めます。
どこかで見たような風景、既視感と懐かしい感情。
今の旧生野町の人口は4000人程度。しかし生野銀山が賑わいを見せた昭和30年代には11000人を超える人口がありました。朝来市旧生野鉱山職員宿舎は「甲社宅」と呼ばれ、当時は1号から20号まで建物があったそうです。他にも乙社宅、茶畑社宅、扇山社宅などたくさんの社宅があったそうですが、ほとんどは取り壊されてしまい、現在残るのはこの甲社宅のうちの5棟になっているのです。
5棟のうち1棟は管理棟として使われていて、他の4棟が当時の間取りのまま公開されています。見た瞬間、どこかで見たような風景、既視感というか、懐かしい感情が込み上がってきます。路地で繋がるその角を曲がれば、少年時代の自分がいるのではないか。温かな家族の暮らしや、隣のおばさんが庭の水やりをしてるのではないか。妙に安心感を覚える、特別な風景がそこにはあります。
屋根には、三菱のマークが施された瓦も。
4棟は全て明治時代のもので、19号だけは明治後期のもの。そして当時は生野銀山の運営者だった三菱合資会社の社宅でした。だから屋根には三菱のマークが施された瓦が使われていたりします。
それぞれの棟に時代が設定されていて、内部では明治から昭和初期までの暮らしが再現されています。近代日本的な生活が時を追って鑑賞できて、今にも住人に出会いそうなリアルがあります。家具や雑貨などもレトロな実物が揃えてあって、それらを見るのもまた楽しみがあります。
昭和の名優を知る、志村喬記念館。
7号の住宅は、昭和の名優・志村喬記念館として開放されています。数々の黒澤映画に出演されたそうですが、恥ずかしながら存じ上げていませんでした。しかし記念館での展示で、寅さんの一作目に博の父親役だったことを知りました。博とさくらの結婚式での涙ながらの名演技がとても印象に残っていたので、なんだか感慨深い気持ちに。志村さんはこの甲社宅で生まれ育ったのだそうです。
どの建物も非常によく整備されていて、正直なところ、実際に住んでみたい気持ちになります。どの建物にもどこか幼少時代の気分にさせる面影があり、懐かしい感覚がよみがえってきます。こういう時、なぜか私は「あと30年くらい、昔に生まれても良かったな」と思う時があります。大好きな昭和の真ん中を暮らせたら、さぞかし温かい暮らしだったのかな、と。今に不満があるわけではないのですが、なんというか、憧れです。
photo.
アクセスマップ
詳細情報
名称 | 朝来市旧生野鉱山職員宿舎 |
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所在地 | 兵庫県朝来市生野町口銀谷697−1 |
問い合わせ先 | 079-670-5005 | 朝来市旧生野鉱山職員宿舎管理棟 |
休業日 | 月曜日、年末年始 |
料金 | - |
駐車場 | 無料駐車場 |
公式サイト | http://asago-net.jp/users/kousyataku/index.html |
wikipedia | - |
食べログ | - |
トリップアドバイザー | https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1022837-d7151124-Reviews-Old_Official_Residence_of_Ikuno_Mine-Asago_Hyogo_Prefecture_Kinki.html |
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